こんにちは、takamasaです。
皆さんは何かにのめり込んだことはありますか?もしくは知らないうちにのめり込んでいたものもありますか?
「これがないと生きていけないくらい好き」「好きすぎてそのことしか考えられない」といった言葉はジャンルに問わず出てくると言っても過言ではありませんね。
ですが、ものや状況によってはそれにハマりすぎるのは本当に良いのだろうか?依存から脱却するべきなのか?と葛藤することもあるかもしれません。
今回はその「依存」に対してどう向き合っていくのが良いのかを自分なりに考えてみたいと思います。
依存は生きている段階で嫌でも向き合う
例えば自分がハマっていたアイドルグループがいたとして、そのグループは何年も推していてグッズにもお金をかけていたのに今年突然解散ニュースが報道されたらどんなことを思いますか?
ついに解散か、、、とすんなり受け入れられる場合もあれば、これから何を糧に生きれば良いのかわからないと生きる意味がわからなくなったり中にはあれだけ貢いだのに解散だなんて最初から推さなければよかったと怒りをあらわにすることもいるかもしれません。
もっと身近な例を挙げるとしたら、米についてはどうでしょうか?昨年は5キロを普通に買えたのに最近は価格高騰が激しすぎて量を減らさざるを得なくなり気軽に買えなくなってしまったら、、、
少なくともお米が好きな人にとっては、なぜ自分たちが我慢しないといけないのか、米以外にも探さないといけないのかとやるせない気持ちになるかもしれません。
このように生きていれば必ずと言っていいほど、良くも悪くも人は周りやものに依存しまくっているということが考えられます。
言い換えるとしたら人は何もない無の状態から生きるのは難しいということですね(何だか哲学みたいですが、、、)。
服がないと体調を崩す、食べ物がないと元気が出ない、住む場所がないと寝れないと言ったように衣食住3つなしで生きられる人はほとんどいませんし、つまり生きるためには必ずどれかに頼らないと生きられないということがわかります。
周りのものやサービスはいつまでもあるわけではない
つまり何が言いたいかというと、私にとって自立しているというのは(広い目で見れば)何にも頼らないことと同等ではないということです。
では依存しながら生きる上でどんなことが大事なのでしょうか?
依存は何度も繰り返していくうちに、そのうちその依存していることが当たり前に思ってしまいます。
そうなってしまうと、依存していたものが急になくなったもしくはなくなりそうになって脱却を余儀なくされた時が大変です(依存していたものに対して執着が強ければ強いほど、、、)。
頼るものがなくなって心の整理がつかない、どこに頼れば良いのかわからない、気力が湧かない、とまるで親を見失って迷子になり悲しい気持ちに溢れている子どものように、、、
人によっては、また新しい依存先に探せば良いじゃんと簡単に済まされる話ではないかもしれません。
だからこそ大事なことは依存先をたくさん探すというよりは、今現存している周りにあるもの全てが決して当たり前にあるわけではないことを最初から受け入れる続けることだと考えています。
これが結構難しくて、少なくとも自分含めて周りでこれを完璧にできている人に出会ったことがありません。
逆を言えば当たり前ではないことを受け入れられないのは割と自然なことだったりするので、できないから自分はダメと自分を卑下する必要はありません。
もしかすると今の自分には心の休息が必要かもしれないと時には何もかも忘れて自由に過ごしたりしてみると受け入れ続けることは何なのかが少しでもわかるかもしれないと思った今日この頃でした。
今回は以上です、ここまで読んでいただきありがとうございました!また次回もお楽しみに!
前回の心理記事:【遠慮】周りに頼ることができない理由とお願いの仕方を考える
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