こんにちは、takamasaです。
学校や仕事、普段の生活において抱え込んでしまうことはありますか?
本当はお願いしたいけど、自分でやった方が良いと何でもかんでも一人で抱え込んでしまって挙げ句の果てには倒れてしまうなんてことが起こり得るでしょう。
周りからすると「頼れば良いのに」で済むはずなのにそれができないのはなぜか?を今回は考えてみたいと思います。
自分でやった方が安心する(相手を信用する勇気がない)
自分の抱えている仕事を周りにお願いすることができない背景としては以下の3つの理由が考えられます。
・自分で管理した方が進捗状況やそれに対するスケジュールが組める
・相手に任せる時に、しっかりとスケジュール通りに完了かつ理想のクオリティに仕上げられるかがわからない(その通りにならなかった時が怖い)
・相手に仕事をお願いすること自体が、自分が楽して相手が苦労していることによる罪悪感
仕事をお願いする相手にもよるかもしれませんが、自分がその仕事の成果物に対する理想が高ければ高いほど相手に任せるのが怖い傾向にあるのではないでしょうか。
お願いしたけど自分の思った通りの成果じゃなかったり期限ギリギリで成果物が来たりすると、それを修正する時間を提出日ギリギリで考えないといけないとなるとかなりストレスになるから、結果として自分でやった方が良くないか?という考えに至るわけなんですね。
それと単純に自分が少しでも楽していること自体に罪悪感を覚える可能性もありました。
相手は了承してくれた場合でも心が痛くなるから次もお願いしづらいし、決定的な出来事としてはお願いした後に相手からお願いされたことに関する愚痴を聞いてしまった時にはもう周りにお願いするのやめようと思い結果として相手にお願いしにくくなるということに陥るんですよね。
相手は自分じゃない、お願いするだけにしない
上記を踏まえて、少しでも自分からお願いしやすくなる思考って何だろう?と考えてみたところ、まず相手は自分と同じ思考や価値観ではない、お願いするだけに留めないということが出てきました。
もし自分の中でその仕事に対する理想の成果物があるとしたら、相手に期待しすぎず理想の成果物が返ってこないことを想定に入れておくことで、まだダメージが軽減されていくのではないでしょうか。
そのために実際の期限よりも少し余裕を持たせておくことで修正する期間が設けられると安心ですね。
またこの仕事は自分しかできないのか?相手にできそうなことか?を検討した上で相手にお願いするだけではなく、感謝や労いを言葉で伝えたり態度で示したりしないとお願いされた側としてもあまり良い気分で仕事はできないと思います。
それでいうと労いの態度を示すって個人的に結構難しいかと思います。
投げたままにしないで難しければ返しても大丈夫と伝えたり、成果物が返ってきたらどんな内容であれしっかりありがとうと伝えたりとまだまだ労いの態度の言語化が難しく課題だと感じた今日この頃でした。
今回は以上です。ここまで読んでいただきありがとうございました!また次回もお楽しみに!
前回の心理記事:【労い】感謝の言葉以外で労う方法ってなんだろう?
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