【労い】感謝の言葉以外で労う方法ってなんだろう?

心理系

こんにちは、takamasaです。

ありがとうのような言葉を誰かに伝えるといったように感謝を伝える機会は人生においても何回かあるとは思いますが、最近どんな方に感謝をしましたか?

もしいなかったとしてももうすぐ母の日父の日が近づいてきているので感謝を伝えるには絶好の機会ではないでしょうか。

ただ、その感謝を伝えたまたはもらった時にモヤモヤしたことがあったので、今回はそれについて書いていきたいと思います。

言葉のみ感謝ってどう思う?

「いつも頑張ってくれてありがとう」

自分が何か頑張っている時に相手からこの言葉を言われるとどう思いますか?

頑張りを認めてもらえて嬉しかったり最後まで頑張ろうとポジティブに捉えることもあるかもしれません。

しかし一方で「あれだけ頑張ってそれだけかよ」とか「言葉だけの感謝はいらない」など火に油を注がれたようになってしまう方もいるかもしれません。

もちろん、どちらの捉え方も自然なことで正しい間違いで分別されるものではありません。

言葉以外に必要な労いって何だろう?

では同じ感謝のはずなのにそれぞれ違う反応が出てしまうのは一体何の違いがあるのでしょうか?

その人個人の捉え方を一旦無視して伝える側視点で考えてみると、その感謝に見合った行動をしているかどうかが出てきました。

極端な話、自分の作業量が圧倒的に多い時に作業量が少ない人から感謝をされたらどう思うでしょうか?

言い方やその人の状況もあるとは思いますが、あまり良い気分にはならない可能性があります。

言われた側としては、作業量の割には得られるものが少ないといったような行動に対する対価の少なさは大きく関係しているのではないかと思いました。

例えるとしたら、会社の勤務時間がかなり多く休日出勤しているにも関わらず手取りがかなり少ないと不満が多くなるといったことと状況がほぼ似ていますね。

じゃあその感謝に見合った行動って結局何でしょうか?

おそらく正解は一つではない上にケースによって違うと思いますが、感謝する相手をどのぐらい知っているかどうかは行動を考える上で大事なのではないでしょうか?

私生活まで全部知る必要はありませんが、普段からその人と一緒に仕事や作業をする時くらいは知っておいた方が感謝が薄く見える可能性は低くなると思います。

相手のことを知っておけば全てが解決するとは限りませんが、少なくとも薄っぺらい感謝を与えるよりはマシなのかなと少々不安に思いながらも改めて感謝って何だろうと思えた今日この頃でした。

今回は以上です。ここまで読んでいただきありがとうございました!また次回もお楽しみに!

前回の心理記事:【他責】なんでも他責にする人の背景と関わり方を考えてみた

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