こんにちは、takamasaです。
どんな職場でもどんな場所でも新しい環境に対して右も左もわからない時ってありますよね。
仕事の手順は教わったけど実際に業務を遂行している途中で不明点が出てきた時やそもそも何をしたら良いかわからない時とかあると思います。
最初のうちはそれはよくあることだから不明点を有識者に聞くで特に問題はないと思いますが、いつの間にかそれに慣れてしまうと果たしてどうなるのかが気になったので、今回は考えてみたいと思います。
自分で考えなくなる、考えたとしても結論を自分で出す勇気がなくなる
どうしたらいいかという形でとにかく有識者に不明点を聞くことに慣れてしまうと、有識者が正解と自然と思い込むようになり、正解を知りたかったら有識者に聞けば早いじゃんと自分自身で考えることを辞めてしまう傾向が考えられます。
業務として進める分には特に間違っているわけではなさそうですが、これが続いてしまうと返って有識者や会社側にストレスが発生する恐れがあります。
具体的に言うと、慣れてきたんだからせめて自分で考えてほしいとか言われたことだけしか動かない人は組織としてどうなの?とかが挙げられます。
いやいや何でもかんでも投げやりにしないで考えるところまで考えましたけど?と自分なりに考えた考えを持って不明点を聞いた人もいるでしょう。
せっかく自分で考えてきたのにそれを有識者が突き放すような言い方(それは違う、全然ダメ、詰めが甘い)しか出てこないようだと次第にやる気が削がれていつしか考えることを辞めてしまうリスクも考えられたりします。
もしかするとお気づきの方もいるかもしれませんが、自分で考えない要因は当事者だけでなく相手にもあるということがわかります。
自分で考えることは決して簡単なことではないが、周りから求められるスキルとしては超重要
もちろん、失敗はしたくはないし周りから責められたくないと思う気持ちもあると思いますし、誰しもが持っていると思います。
社会って小学校中学校高校とは違って答えがはっきりしていないことが非常に多いことでしょう(現にもうすぐ30代になる自分でもわからないものが非常に多いと感じています)。
だからこそ自分で考えることってこれからの社会を作り出すヒントになってとても意味のあることだと思っています。
でも結局その考えが正しいか間違っているかどうかも大事じゃないの?
確かに社会を良くするという意味では大事かもしれませんが、最初から正しい考えを出せる人がいるのであればとっくに全ての問題が解決しているはずです。
それで言うと大事なことは正しいか間違っているかではなく、間違ってもいいから自分で考えを出すことなのではないでしょうか。
それが偶然にもヒットするかもしれませんし、間違っていたとしても考えたことが悪いということにはならないと思っています。
あえて自分で考えた人を突き放すような言い方をすることで、甘やかさないとか一人前になるためなどの意図もあるかもしれませんが、確かにトレーニングや育成という意味では必要な人もいると思いますが、決して全員が突き放されることに前向きに考えられるとは限らないことを念頭に入れておくと良いかもしれません。
変えられるのは自分だけですが、社会や組織が絡んでくると共に成長することの難しさを感じさせた今日この頃でした。
今回は以上です。ここまで読んでいただきありがとうございました!また次回もお楽しみに!
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