【こんにちは】挨拶をすることでどんな効果と意味をもたらすのかを考えてみた

心理系

こんにちは、takamasaです。

こんにちはといえば、挨拶の一種ですが他にも朝に使うおはようございます、夜にはこんばんは、お世話になっている人にはいつもお世話になっています、YouTuberの「どうも」「こん○○」などなど日常生活でほぼ必ずと言っていいほど挨拶を耳にしますよね。

ですが時々挨拶をするのがめんどくさいから、心底嫌いな人から挨拶されたから無視をするといったような挨拶に関して後ろ向きな人も中にはいるかもしれません。

その人に対してけしからんとか仕事ができない、成功しないなど色々批判的になる人もいるかもしれません。

ではそもそも挨拶をすることでどうなるの?何か意味があるの?ということについて今回は考えてみたいと思います。

挨拶は「自分は敵意はない」「相手に敬意を示す」ことを伝えるための手段

お話しする前にお聞きします、相手から「こんにちは」と挨拶をされたらどんな気分になりますか?

例えば学校に来たときに先生が校門で生徒に向かって元気よく挨拶をしている、会社に行ったら同僚や上司から笑顔で挨拶をしている、朝起きてきた自分に対して家族が挨拶をしているなどなどケースは様々です。

少なからず悪い気分にはおそらくならないのではないかと思います。

さらに言うとしたら自分を一人の人間として歓迎されているとも捉えることもできたりします。

大袈裟かもしれませんが、逆を考えたら歓迎したくない人に心から挨拶したいとは思わないのではないかと思いました。

このように、挨拶は人に対してリスペクトを示す、相手に安心を与えるためのとてもコスパの良い手段だったりするのではないでしょうか?

ではなぜ挨拶をしないという選択をするのか?

挨拶をする意味や効果は理解できるけど、それでも面倒なものは面倒だと考える方もおそらくいるでしょう。

挨拶をしない理由はいくつかあるとは思いますが、よくあるのがその人が嫌いだから挨拶をしたら返さないといけないところが面倒だから余裕がないとまあいろんな事情が考えられるんですよね。

嫌いだからしないというのはプライベートなら好きにしていいと思いますが、これを仕事でやろうとすると相手の信用を得られず仕事をもらえなかったり相手にされなかったり最悪の場合知らないうちに会社の顔に泥を塗るようなことになって思うように仕事ができなかったりとメリットがとても少ないためあまりおすすめできません

ただそれでも面倒なものは面倒だという主張は、実はわからないでもありません。

小学校、中学、高校の時に目標で「元気よく挨拶」と掲げてあったり、よく全校集会で「声が小さいからもう一度挨拶」と挨拶を強要された経験が多いと「挨拶はめんどくさいし、相手にエネルギーを合わせないといけないのがだるい」と知らない間に「挨拶=面倒」という価値観が誕生するのではないかと考えました。

だから特に嫌いではなくても挨拶をするのが面倒だからしないという選択をするのもわからなくはありませんが、結局挨拶をすることで少なくとも損をすることはないので私はした方がいいとは思います。

挨拶をするしないは自由ですが、挨拶は少なからず相手の信用や将来の自分に関係するものだろうなあと思う今日この頃でした。

今回は以上です、ここまで読んでいただきありがとうございました!また次回もお楽しみに!

前回の心理記事:【同感】同じ感想しかないことに対する違和感について

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