こんにちは、takamasaです。
時々私は家のお手伝いで、庭の草むしりをすることがあります。
特に雨の多い時期は、雑草が伸びるのが早くて草むしりの頻度が少しだけ多くなります。
ここ何年か草むしりを手伝ってみると、いろんなことを感じます。
今日は、草むしりを通じて感じたお話を書いてみたいと思います。
いつものように草むしりをしていたら、、、
ある日、いつも通り草むしりをしようとある草を掴もうとしたら、手にチクっと刺さったような痛みが出てきました。
以前はそんなことがなかったはずなのに、この日は1、2を争うくらい苦労しました。
手袋を二重にしないと掴めない、二重にしてもまだ棘が刺さるくらい手強い草がいました。
散々草むしりをしてきた人への復讐?
ここまでしないと草むしりできないのは初めてで、なんでその草に棘が生えるようになったのか?を心理的観点で想像してみました。
その結果、長いことむしられた怒りが、棘という形で産まれた?という説が、個人的に有力になりました。
おそらく、草もむしられないように学習しようとしたんでしょうね笑。
棘は、自己防衛の象徴?
そもそも棘のイメージを考えた時に、周りを攻撃するものだったり邪魔なものだったりなどマイナスなイメージを持っていることがあるかと思います。
ですが棘の役割は、攻撃するためだけでなく、自分を守るためでもあるのではないでしょうか。
となるとこれは草に限らない話で、人の言葉も同じようなものを感じますね。
言葉に棘が出ることがあるのは、もしかすると傷つきたくないという自己防衛から来ているものかもしれませんね。
故意で周りに攻撃して傷つけるのはNGですが、自分を守るためについ棘が出てしまうのも、ある意味自然なことだったのかもしれないと私は思います。
今日は、ただの草むしりから棘の役割は何かについて書きました。
日常から感じること、これからまだまだ出てきそうな気がするので、また気が向いたら書いてみようと思います。
今回は、以上です。ここまで読んでいただきありがとうございました!また次回もお楽しみに!
前回の心理記事:【疑問】何でもしてくれるところが、もしあったらどうなるの?
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