【多数決】無意識に多数派が正義?少数派が悪?が出ることについて

心理系

こんにちは、takamasaです。

朝食はご飯?パン?出かけるなら海?山?好きなのはきのこの山?たけのこの里?

こうした身近なテーマで、ディベートをしたことは、ありますか?

テーマを大きくすると、どの政党に支持するか?にもなるでしょう。

意見を聞いた時に、均等に分かれることもあれば、大きく差ができることもあるでしょう。

今回は、その時無意識に出るであろう、多数派が正義?少数派が悪?の考え方について書いてみたいと思います。

みんなが同じ意見だと、安心という名の錯覚?

たまたま自分の意見が、周りと同じ意見だった時ってなんとなく安心感を感じませんか?

自分はズレてないんだなとか、間違っていないんだなと思ったりする方もいるかもしれません。

そう思うと、ついつい違う意見の人を間違った意見と錯覚をしてしまう恐れがあるんですよね、、、(かつて自分もそうでした)。

それによくよく考えてみると、違う意見の人から自分たちを見ても、間違った意見と捉えられてしまうことだって考えられますしね、、。

意見を押し付けるではなく、観点を育てる

そうした心理状況で議論が白熱していくと、段々と自分の意見を押し付けることが正解みたいな雰囲気にもなりかねないでしょう(実際はどうなのかはわからなくて、あくまで想像でしかないですが、、、)。

果たして、違う意見を跳ね除けて自分の意見を押し通すことが、議論の目的なのでしょうか?

倫理的に違うもしくは違法性がある場合は例外として、正しいか間違っているかの押し付け合いではなく、それぞれの意見の背景は何だろう?と興味を持って、だからこの意見があるんだなと観点を育てることが、本来の議論の目的の一つなのではないかと思いました。

ただ、相手の意見を支持する必要はありませんし、大事なのは好き嫌いで意見を見る見ないは、勿体無いということです。

もちろんいきなりは、難しいかもしれませんが、少しでも相手に興味を持つきっかけになれれば、嬉しいです。

今日は、以上です。ここまで読んでいただき、ありがとうございました!また次回もお楽しみに!

前回の心理記事:【痛覚】痛みって本当に不要なのか?を考えてみる

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