【善にも悪にもなり得る】不安や心配は、時には大事なのではないか?

心理系

こんにちは、takamasaです。

みなさんは、未来についてどう思っていますか?

誰にもわからないことを考えることは、ワクワクすることもあれば、不安や心配になることもあるでしょう。

特に不安や心配は、誰にでも起こり得る感情ですよね。

じゃあ、その不安や心配をなくせばいいじゃないか、と思いますが、実は必ずしもそうではないのではないか?という話を今回は書いていきたいと思います。

不安や心配を完全になくすとどうなる、、?

そもそも不安や心配は、こうなるのではないか、ああなるのではないかみたいな、この先どうなるかわからないところから来ているのがほとんどだと思います。

では、もしそれを完全に無くしたらどうなるでしょうか?

・バグあるけど特に気にしなくて大丈夫だろうと思っていたITシステムが、納品をした後にそのシステムから個人情報が流出しました。

・初めて見たけど平気でしょと思っていたキノコを食べたら、毒がありました。

・人通り少ない道路だから速度出してもいいでしょと車を発進したら、突然横断してきた人を撥ねて事故を起こしてしまいました。

上記のケースは極端なケースで絶対そうなるとは限りませんが、要するに事故の被害者、加害者になりやすくなるということです。

「程よい」不安や心配

じゃあ不安や心配は持ち続けないといけないのかと言われたら、持ち続けるというよりはどう扱うかが大事だと思っています。

私にとって「不安や心配を持ち続けないといけない」が、自分が不安や心配に支配されているみたいなイメージがあります。

不安や心配は、心を負担にさせるときもあれば、もしもの時に対処するためのきっかけにもなるのではないでしょうか。

不安や心配が抱えきれなくなってきたら、カウンセリングや書き出し等で吐き出したり、病院や周りに頼ったりして、落ち着いてきたらどう次に活かすために行動するかを考えたりなど、その時によってできる行動も変わっていくのではないかと思います。

自分の感情を支配できるのは自分しかいませんし、もちろんどう扱うかは自分で自由に決めることができます。

簡単なことではないのかもしれませんが、こんな考えもあるんだなと受け取ってもらえると幸いです。

今回は以上です。ここまで読んでいただきありがとうございました!また次回もお楽しみに!

前回の心理記事:【終わりよければ】最初から最後まで、完了を作ることの大切さ

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