【受容と許容】何かを受け入れることと何かを許すことは違う話

心理系

こんにちは、takamasaです。

ニュースや出来事に対して、周りの人だけでなく、TwitterやYouTubeでもたくさん意見を聞いたり見たりする機会があると思います。

同意できるものもあれば同意できないものもあったり、中には許せないものもあったりするでしょう。

あるとき、何かを受け入れることは何かを許すことと同じものだという声を聴いて、それは違うのでは?と思ったので、今回はそれについて考えてみたいと思います。

そもそも何かを「受け入れる」って何?

違いを考える以前に受け入れる(いわゆる受容)とは、Weblio辞典によれば「人の主張や要求を聞き、それを承知・容認すること。」と記載されています。

おそらく、この容認することが許すことと混同してしまっているのかもしれないと思いました(実際に意味も似てますしね)。

私なりの解釈なのですが、受け入れるとは「許すか許さないかは関係なく、それが存在していることをそのまま受け止める」と私は思います。

人、もの、感じ方、意見などがこの世に存在しているということを受け入れるということですね。

対して、許容はWeblio辞典によれば「そこまでは良いとして認めること」と記載されています。

これは文字通り、行動などについて許すということですね(評価しているとも言えるかもですね)。

以上のことから、受け入れることと許すことは紐解いてみると違いがあるということになります。

だからこそ、受け入れるってかなり難しい

受け入れることについて、先ほど私が解釈した「許す許さない関係なく受け止める」ということは言葉ではなんとなくわかるけど実際やろうとするとかなり難しいと感じることがあるかもしれません。

今まで自分が許容してから受け入れるということに慣れてきた方であればあるほど、そう感じるでしょう。

もし、許す許さない関係なく受け入れたいという場合、自分が何が許せて何が許せないのか?なぜそれが許せないのか?を探求してみると自己理解が深まり、受け入れやすさにつながるかもしれません。

何が許せて何が許せないと思うのは自由ですし、許せないものがあることはダメということではないと私は思います。

どんな存在でも受け入れる、私としてもまだまだ考えなくてはいけないところでもあるので、これからも考えていきたいと思います。

今回は以上です、ここまで読んでいただきありがとうございます!また次回もお楽しみに!

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