【不得意があってもいい】「できない」から無意識に自己価値を下げてるかもしれない話

心理系

こんにちは、takamasaです。

みなさんは、自分が何が得意何が不得意かをどれだけ把握していますでしょうか?

勉強は周りよりは少しできるのに、運動が周りと比べてできない。

事務作業は苦手だけど分析は得意なんだよな。

というような感じでバリエーションはたくさんあると思います。

しかし、このように周りと比較した時に時々「自分はダメだ」と自己価値を下げてしまうことってあるかと思いますが今回はそれについて思うことを書いてみたいと思います。

誰でも得意と不得意は存在する

全てにおいて得意な人と全てにおいて不得意である人ってこの世には存在しないのではないかと私は思います。

それを前提に考えてみると、不得意なことしかないと思っている人でも実は気づいていない得意なことがあるかもしれない、または今は得意なことしかないけどまだ気づいてない不得意なことがあるのかもしれない、という考えが出てきますね。

この場面では冴えないけど、別の場面では輝けるということを示していますね。

周りと比較するのは良くないと聴くけど、、、

SNSでもよく「周りと比較するのは良くない、比較するのは自分自身」という言葉を耳にします。

確かに、周りと比較するという行為が自分の価値を下げていることに繋がるとは思います。

けれども、どんな目的かによっては周りと比較することも時には必要なのではないかと思いました。

その目的の一つとして、自分の人生とって必要なことに対してどこがいいのか?どこを伸ばしたら良くなるのか?を考えるということです。

例えば、Aさんがシステムエンジニアとして人生を歩むことを決めたとして、他のエンジニアにはあって自分にはないスキルは何だろうか?を考えるイメージですね。

じゃあ自分と比較する必要はないかと言われたらそうではありません。

過去の自分と比べて、今の自分はこれができたということ(できなかったことを次回どう改善するか?)を自分で味わうことも自己価値を下げないためにも必要なことなのではないでしょうか。

自分の価値は自分で決めるもの

最後に、自分の価値は他人が決めるものではなく自分で決めるものだと私は思います。

これも多分よく聴く言葉ですよね。

言い換えると、自分の価値を下げるかどうかも自分で決めていいということにもなります。

得意不得意は誰しもが持っている中で、必ずしもそれが自分の価値に直結するものとは限らないと私は思います。

自己価値を下げるよりはどんなことがあれば自分にとって良いものになるか、それに対して何が必要かを考える方が大事なのかもしれませんね。

少しでも自己価値を無意識に下げてしまっているかもしれないことに対して参考になれれば嬉しいです。

今回は以上です、ここまで読んでくださりありがとうございました!また次回もお楽しみに!

前回の心理記事:【無意識の怖さ】知らないうちに差別していたかもしれない話

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