こんにちは、takamasaです。
日々のニュースや生活での出来事をテレビやSNSなどで触れることは多いですよね。
それに対して、感じていることや意見を対面だったりSNSだったり述べる機会は何かしらあると思います。
ただ、物にもよりますがいろんな意見を聴いたり見たり調べたりしても結局全部わかる訳ではないと私は感じたことです。
今回はそれについて書いていきたいと思います。
いろんな情報がいっぱいあるけど。。。
数年前にコロナが世界的に流行した話を例にすると、コロナ禍になってからマスクの必要性だったりワクチンの必要性などたくさんの話題が出てきました。
マスクをつけるのは良い悪い、ワクチンをするのは良い悪いなどが挙げられますね。
よくよく見てみるとマスクをつけたりワクチンをしたりするのは政府の陰謀論だと唱える意見もありました。
ですがたくさんあるこれらの意見や情報は、本当かもしれないしそうではないかもしれない仮説の一つに過ぎません。
中には信憑性の高い情報もあるとは思いますが、100%正しいかどうか判断するのは難しいのではないでしょうか。
なので一つの出来事について真実を知ることはかなり難しいということになると私は思いました。
正しいかどうかを選ぶのは自由。しかし。。。
正しいかどうかが判断ができないのであれば選べないじゃないかと思うのも無理もありません。
ただ正しいかどうかで情報を選ぶこと自体は決して悪いことではありません。
大事なのは正しいか間違っているかに拘りすぎると考えられる可能性を狭めてしまうということになります。
何が言いたいかというと、自分にとって間違っていると思っている情報を肯定する必要はありませんが、その情報が本当だと思っている人もいればそうでない人もいるし本当にその情報が間違っているかどうかはわからなくてそれもあくまで仮説の一つということです。
たくさん情報がある中で最後にどれを選ぶのは自分です。
自分で選べるために考えられるように私も考えてみたいと思います。
今回は以上です、ここまで読んでくださりありがとうございました!また次回もお楽しみに!
前回の心理記事:【思い込みの怖さ】絶対に自分が正しいと思い込むと視野が狭くなる話
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