【答えはわからない】気持ちは断定できるものではない話

心理系

こんにちは、takamasaです。

「挨拶をすることは大事です」

この言葉を小学生の時に学校で耳にタコができるぐらい聴いたことはありますでしょうか?

確かに大事だと思ってある日先生や親に挨拶をしたら反応がありませんでした。

その時に「反応がないということは今日は機嫌が悪いに違いない」と思ったことはありましたでしょうか。

それによって気を使ってしまったりして疲れるなんてこともあるかもしれません。

今回はこの相手の気持ちはわかるものなのか?ということについて考えてみたいと思います。

周りの気遣いは良いこと、しかし、、、

気遣いは疲れると感じることもあるかもしれませんが、別の視点で言えば相手の気持ちを察して行動する力があるとも見えると思います。

多分疲れてると思うからあまり声かけないようにしよう、機嫌が良さそうだから話しかけてみようなどたくさんのシチュエーションがあるかと思われます。

ただ、結局のところ相手の気持ちは直接聴かない限り推測でしかわからず、絶対にこれだとは言い切れないことがほとんどです。

気持ちを察しないといけない、気持ちを察してくれとつい思ったり言いたくなるとは思いますが、全員が察することができるわけではないですし、できない人を批判したり嫌味を言うよりもちゃんとお互いにどうすればよかったかのコミュニケーションを取っていく必要はあると思いました。

気遣いするしないも自分で決めて良い

相手の気持ちはこうに違いないというような過度の自身の思い込みが返って相手に迷惑をかけてしまうこともあるのではないでしょうか。

良かれと思ってやったことが相手を怒らせてしまったなんてことも。。。

じゃあ気遣いしないのも気の利かない無慈悲な人だと思われるのではないか?

個人的にはそんなことは全くなくて、むしろ下手に動かない方が良いと考えることは面倒なことを起こさないだけでなく自分を守ることにつながるものだと思います。

気遣いした方が良いかは仕事でない限り正解はわからないので自分で選んで良いと思いますしその結果相手からこうしてくれとお願いされたら次からすれば良いというように臨機応変な感じで良いのではないでしょうか(結果良くなかったからと言って決して自分を責める必要はありません。こうせざるを得なかったこともありますしね)。

自分らしくやっていくことの意味が少しでもつながれば良いかなと思って書かせていただきました。

今回は以上です、ここまで読んでくださりありがとうございました!また次回もお楽しみに!

前回の心理記事:【それ本物?】頭の中で知らない間に事実を書き換えてる?話

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