【負けは弱くない】負けを認められない3つの理由

負けを認めない 心理系

こんにちは、朝急に起きれなくなったのはなんででしょうか?寒いのでしょうか?いいえ疲れです。と言い聞かせて起きています(?)。

1日では疲れは解消できないのか、、、。

そんなことはどうでも良い!!

それはともかく、先日アメリカ大統領選挙が終わりバイデン氏の勝利が確定しましたね。

それに対してトランプ大統領は敗北宣言をせず「この選挙は不正だ」と根拠のない訴えをしているようですね(※大統領選については様々な情報があったり中には誤情報があったりしますが今回のメインは大統領選ではないのでもし大統領選について気になる読者がいましたら他の記事を参考にすることをお勧めします)。

今回の大統領選について詳しくはこの記事には書きませんが今回は敗北宣言をしないと言うところに注目します。

敗北宣言をしない、言い換えると負けを認めないと言い換えられると思いますが皆さんは勝負事において負けを認めたくないと思ったことはありませんでしたでしょうか?

勝負に負けた時って結構悔しいですよね、、相手が嬉しそうな顔していると尚認めたくない気持ちが強くなることがあるかもしれません。

しかしなぜ負けを認められない時があるのでしょうか?

今回はこの理由について考察していきたいと思います。

自分は精一杯頑張ってきたから

負けを認めないと言うことはこの勝負を真剣に向き合った証拠なのかなと思っています。

ただ逆に負けを認めたことが勝負を向き合ってないというのは一概には言い切れないところがあります(負けを認めることも勝負に向き合っている)。

負けを認められないということは本気でその勝負に勝ちたかったことだしそれに対してどうすれば勝てるかを考えて実行してきたことについては嘘はないと思っています(不正はもちろんだめですが笑)。

ちなみに結果が全てだと言われてしまうと萎縮しがちですが本当に大事なのはその勝負に対してどれだけ全力を注いだか?と言う声もあります。

相手から見下されるのが怖い

表面ではわかりにくいかもですが案外ありそうな理由なのではないかと感じています。

見下されることって大抵は嫌になりますよね(見下されることを好む方もいるかもですがもしいたらどんな考えかを興味本位で聴いてみたいです笑)。

勝負に負けた=自分が格下 という考え方をする方も多いのではないでしょうか?

そして何よりも相手からその勝負の結果についてバカにされプライドが傷つけられるということを不安に感じているということが多いと思います。

この不安に感じているというところが怖さを作り上げている要因かなと感じています。

実際に起きてもいないことを自分の頭の中でイメージして不安を無意識に作っていることはよくあることです。

そこに気づいた時、勝負に負けることは自分が格下であることに初めて疑問に持てる(本当に正しいのか?)のかなと思いました。

勝つことが全てだと思っている

見下されることと若干似ている部分はあると思いますが勝たないと価値がないと思っているということですね。

確かに勝つことは非常に価値が高く感じますし誰もが強さの証明にもなるかもしれません。

しかし逆にこれは私の先生がおっしゃってたことですが負けたことによってその人の価値が下がるわけではないということです。

それに勝つことが自分の価値を上げるのではなく自己分析したり検証もしたりして価値を上げるものだということもおっしゃってました。

じゃあ勝負事って意味がないの?と言われたらそうではありません。

勝負は自分の能力が今どの位置にいるのかというレベルチェックみたいなものだと思っててあくまで大事なのは勝つことではなく自分を知るということですね。

まとめ

今回は負けを認められない理由について書きましたがいかがでしたでしょうか?

確かに負けてしまうことは悔しいし認めたくないことは非常にわかります。

何度も言いますが悔しい、認めたくないという感情が出ていることは本気で向き合った証拠です。

負けることがその人の価値を下げません。

負けることはむしろ自分を強くするためのチャンスと捉えることもできるので負けることは弱いことではないと思っています。

色々と思うことはあり参考するしないは読者の自由ですがもし参考になれれば嬉しいです!(参考にならなかったとしても再度検証し続けて参ります!)

今回は以上です!ここまで読んでくださりありがとうございました!また次回もお楽しみに!

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