こんにちは、takamasaです。
ある時、答えが欲しくて周りに聴いたら、答えが返ってこなかった経験をしたことはありますか?
仕事で行き詰まったから突破口が知りたい、収入を増やす方法を知りたい、生きている意味を知りたいなど、何かしら知りたくて聴きたくなることありますよね。
そしたら、答えは返ってこずに、「自分で考えろ」「あなたはどう思うの?」「何ができると思う?」と逆に問われたことも、あったかもしれません。
一見すると、その問いかけは鬱陶しいものにも感じるかもしれませんが、実は貴重だったりもするのではないかということについて、今日は書いてみたいと思います。
意地悪をしたいから問いかけているとは限らない
冷静になって考えてみた時に、そもそもなぜ相手は問いかけてくるのでしょうか?
考えるのが面倒だから押し付けているのでしょうか?
自分のレベルを上げる大切なことだから?
真実は相手のみぞ知るというところではありますが、おそらく答えは複数考えられるでしょう。
ただまあ面白いことに、問いかけてくる相手の印象によっては、押し付けているようにも聞こえたり自分のことを思ってくれているなどで、相手の真意とすれ違いが起きることがあるんですよね(現に自分がありました)。
答えが出ても出なくても、考えることは自分と向き合っていること
ともあれ、問われていることは、自分で考える機会になっているのではないでしょうか(考えるべき人が、自分か相手かにもよりますが、、)。
もし日常生活でも仕事でも何でも、特に誰からも何も問われず、特に考えずに質問して答えだけをもらい続けたらどうなるかを想像してみてください。
物事は特に問題なく進められますが、自分自身はどうなるでしょうか?
推測ではありますが、自分の意志で人生を作り上げることができなくなるのではないかと思いました。
自分はどう生きたらいいかを質問したら答えが返ってきますし、その通りにやれば良いだけ、、、相手が敷いたレールの上を走り続けるだけの人生を送りたいと思えますか?
考えるということは、結構めんどくさかったり時間がかかったりすることもあると思いますが、それと同時に広い意味で自分の人生を作り上げる機会、もしくは自分と向き合う機会にもなるのかなと思いました。
もちろん、質問をすることが悪いと提唱しているわけではありません。
自分で考える必要がないものだったら、聞いた方が早いこともありますしね。
すぐに答えが出たとしても出なかったとしても、自分で考える機会を噛み締めることができたことは、自分を作り上げる大切なことだと私は思いましたので、これからも大切にできるといいなあと自分も願った今日この頃でした。
今回は、以上です。ここまで読んでいただきありがとうございました!また次回もお楽しみに!
前回の心理記事:【迷惑】かけてもいい迷惑をかけてはいけない迷惑の違いって何?
コメント