【相談】悩みを話すことに意味を持つ人とそうでない人の違いって何?

心理系

こんにちは、takamasaです。

日々生活していると高確率で悩みというものに直面すると思いますが、皆さんは最近どんなことが悩みになっていますか?

家庭や学校、仕事、あるいは自分自身のことなどとても幅広いですよね。

何か悩みがあった時に、誰かに相談する人と相談しない人に分かれると思いますが、ではそもそもなぜ分かれているのか?に対する自分の考えについて、今日は書いていきたいと思います。

感情or状況に焦点が当たっているか?

誰かに話をすることで、気持ちが整理されてスッキリするということをよく聞きます。

確かに何か嫌なこと悲しいことがあって、誰かに愚痴として話したらどうするべきか見えてくることもあるでしょう。

ですが、それが必ずしも全員がそうなるとも限らないのが現状です。

いくら悩みや気持ちを話したところで現状は変わらないし余計に虚しくなると思う人も一定数いると思います。

このことから、自分にとって感情と状況のどちらに重きを置いているかによって意味を成すかそうでないかが分かれるのかなと思いました。

つまり、感情を重きに置いている人に対してアドバイスや提案はほぼ受け入れてくれないし(愚痴を話したいだけなのにこうした方が良いと提案してくる)、状況を重きに置いている人に対して傾聴だけでは納得しない(ただ頷いて聴いてるだけでアドバイスもなく何も変わらない)、という考えですね。

ちなみにどっちを重きに置いているか関係なく、相談した相手の反応次第でも変わってくることもあるかもしれませんね。

悩みを話しても話さなくても、正解にもなるし不正解にもなる

自分がカウンセラーのお仕事をしていることもあって、悩みなんか話しても意味がない、話しても考えを押し付けられたというSNSのコメントは、見て見ぬ振りはできませんでした。

その人に誰かに話す意味を持たせるになるには自分に何が足りないのか?と一瞬考えましたが、それと同時に自分でどうにかできるのであればわざわざ話さなくても良いのではないか?とも思いました。

つまり、悩みを話すのも話さないのもその人が正解なら正解、不正解なら不正解と自由に決めて良いということです。

ただ世の中には何億人のも人間がこの地球に暮らしています。

それに全人類が同じ考えとも限りません。

この先の人生のヒントとして、一人の考えが全てとは限らないという言葉をこの記事の最後に残します。

今回は以上です。ここまで読んでいただきありがとうございました!また次回もお楽しみに!

前回の心理記事:【謝罪=敗北?】自分が素直に謝れない理由って何だろう?

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