【痛覚】痛みって本当に不要なのか?を考えてみる

心理系

こんにちは、takamasaです。

自転車で転んだときに傷ができたり、ずっと椅子に座っていると腰が痛くなったりなど、人は痛みと隣り合わせに生きていると言ってもおかしくないですよね。

痛みとは言っても、軽い傷のものもあれば、生死を彷徨う重大なものもあったりします。

そんな時にふと、「痛みなんてなければいいのに」と思ったことはありましたか?

今回は、その痛みの役割について、考えてみたいと思います。

そもそも痛みは、何のためにある?もし痛みがなかったら、、

結論から言うと、痛みは身体の危険を知らせる役割だと思っています(よく考えてみたらその通りですよね汗)。

痛いと知ることができるから、擦り傷には絆創膏を貼ろうと思ったり、横になって安静しようと思ったりなどその都度対処することができると思われます。

では、もし、痛みがこの世からなくなってしまったらどうなるでしょうか?

身体から痛みがなくなって、より自由度が高くなってくると思いがちですが、、、

痛みがなくなると言うことは、身体の危険を知らせる役割がなくなってしまいます。

ということは、、、

身体が壊れていくことにも気づけなくなってしまうんですよね、、

こないだTwitterで、ロボットに仕事をやらせ続けたらふとした瞬間にロボットが倒れてしまった動画を見ました。

もし途中でメンテナンスをしていたら倒れることはなかったのかもしれませんね、、、

ケアが必要と気づけることの重要性

身体のことであっても、心のことであっても、痛みがあることを気づけるだけでも違うと思います。

気づければ、ケアが必要と判断ができるし、それなりに対処ができることがほとんどですしね。

もし何も前触れもなしに突然目の前が真っ暗になって、元に戻れなくなってしまったらどう思いますか?

恐ろしい以外の何者でもないですよね。

痛みはただ苦しいというだけではなく、身を守るためにあるものでもあったりするのかなと、感じました。

それと痛みは、肯定できるものでもなければ否定できるものでもないという複雑な感覚ということが、考えてみてわかりました。

うーん、、もやもや。

今回は、以上です。ここまで読んでいただき、ありがとうございました!また次回もお楽しみに!

前回の心理記事:【誰でも】メンタル不調は、どんな人でも関係なく起こり得る話

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