【激励】励ましが時にはイラつかせてしまうかもしれない話

心理系

こんにちは、takamasaです。

日々頑張っている時でもそうでない時でも、身体的にも精神的にも疲弊する時ってありますよね。

その本音がつい知り合いに漏れてしまうこともふとしたきっかけで出てくるかもしれません。

もしその知り合いから直接、もしくはSNSで頑張れのような応援、激励のメッセージをもらった時どんなことを思いますか?

嬉しい時もあれば、そうでもない時もあるのではないかと思ったので、今回はそれについて話していきたいと思います。

心がしんどい時の「頑張れ」は果たしてどうなのか?

例えば、仕事や勉強ですごく忙しい時に「頑張れ」と言われたらどう思いますか?

言い方にもよるかもしれませんが、もう少し頑張ろうと思える人もいればそんな表層的な言葉はいらないと逆にイライラを感じてしまうかもしれません。

良かれと思って言った頑張れという励ましが励ましではなく、イラつきになってしまうのは果たしてその人に何があったのでしょうか?

励ましを受け取る余裕がない、頑張れと言うくらいなら手伝って欲しい、それが出来ないのであればその言葉はいらない、それを言われたところで現実何も変わらないし逆に虚しくなるからやめて、などなどいろんな背景があると思います。

大まかに共通していることとしては、自分が求めていることと相手からもらうものに違いがあることですね。

精神的に疲れている時に激励の言葉だけもらっても、「疲れているのにさらに追い込めってこと?」と誤解されてしまう可能性があります(もちろん嬉しい人もいると思いますが、、、)。

何も言わず黙ってそばにいるだけでも実は励ましになることも?

じゃあその人が手伝って欲しいのであれば手伝うしかないの?と思うこともあるかもしれませんが、現実問題そう簡単には出来ないこともあるかもしれません。

それに実際は、そんな単純な話でもないとは思いますが、、、

頑張れなどのような励ましも嬉しい時もあれば、ただ黙って見守るだけでも実は少しでも相手の安心につながることもあるのではないかと思いました。

つい心配で言いたくもなる気持ちもわかります。

ですが時には言わずに話を聴くだけなど、言葉を必要としない寄り添いも大事かもしれません。

励ましって難しいですね、、、

相手がどんな思いを抱えているのかを非常に考えさせられる今日この頃でした。

今回は、以上です。ここまで読んでいただきありがとうございました!また次回もお楽しみに!

前回の心理記事:【綺麗事?】誰一人犠牲を出さないことは果たして可能なのか?

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