【正論】正しさは必ずしも幸せになれるとは限らない話

心理系

こんにちは、takamasaです。

今の時期、インフルエンザやコロナなど体調が崩しやすい時期ではありますが、皆様はいかがお過ごしでしょうか?

私は体調を崩していませんが、周りでは何人かいらっしゃいます、、

体調を崩した時は無理をせずに休む

これはほぼ全てのケースにおいて間違っていない、いわば正しい選択であることはなんとなくわかるはずです。

では正しい選択こそが全てなのか?となるとそうとも言い切れないと私は思います。

今回は、この「正しさ」について書いていきたいと思います。

正しいことを言われた時、言われた側に何が起きている?

例えば、自分が友達と些細なことで喧嘩(自分が原因)をして、そのことを親に喧嘩のことについて雑談程度に話しました。

その時親から「それはあなたが悪いし、さっさと自分から謝れば解決する話じゃないの?」と言われました。

もし自分が親から突然そのように言われたらどう思いますか?

いくつかあるとは思いますが、「自分が悪いのはわかっているのに、いざ言われるとなんかムカつく」と思うかもしれません。

それもそのはずで、正しさだけを伝えるということは相手の感情を理解しようとしていないことにつながるわけなんですよね。

なので、正しさいわゆる正論を伝えたところで「わかってもらえてない」と思われるようになり、聞き入れてもらえないなんてことが起こり得るわけです。

正しさを伝える方法?

じゃあ正しさを伝える前に「こういう気持ちになるのもわかる」と何か共感のような一言を言えばいいじゃないかと思ってる方もいるかもしれませんが、確かに相手の気持ちに寄り添う上では有効かもしれません。

ですが、どうしても相手の気持ちが理解できない、気持ちを寄り添っても結局聞き入れてもらえないというように必ずしも有効とは限りません。

この時のポイントとしては、相手の気持ちは100%理解はできない相手の反応を見ることです。

少なくとも相手は自分ではないので、相手が何を考えているかなんて全てを理解できたら逆に恐ろしいものです。

なので、無理に理解しようとせず共感できそうなところは共感したり「そういうことがあったんだな」と受け止めるだけでも相手との信頼も築きやすくなると思います。

そしてその後に相手の反応(表情や雰囲気、声色など)から今なら言っても良さそうかな?というタイミングで正しさを伝えることも有効かもしれません。

キャッチボールで例えるなら、正論は豪速球ストレートな球のようなもので、それをピッチャーが準備していない状態(グローブなし)のキャッチャーにいきなり投げたら受け取れないのと同じです。

もちろん、正しさを伝える方法はこれらが全てではありませんし、それらが必ずしも有効とも言い切れません。

正しさを伝えることも気持ちに寄り添うことも両方大事ですし、どちらかが怠っていると果たして相手のためになるのでしょうか?

正しさとは何かということを非常に考えさせられた今日この頃でした。

今回は、以上です。ここまで読んでいただきありがとうございました!また次回もお楽しみに!

前回の心理記事:【冷酷注意】誰かに悩みや文句を話したところでどうなの?という話

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