【昔の自分へ】スクールカーストについて思うこと

心理系

こんにちは、takamasaです。

中学になってから高校まで私はカーストというものを感じていたことがありました。

あの人は上、あの人は下、直接言われたわけではないけどそう感じていた時期がありました。

卒業した後は感じなくなりましたが今を思うと馬鹿らしいなあと思っていました。

そんなスクールカーストについて今だから言えることを書いていきたいと思います。

カーストを感じているのは自分だけ?

先程にも話した通り直接あなたは上か下とは言われていないけど私はカーストの下の方だと感じていました。

けどそれってただの思い込みだったのかもしれません。

言い換えると自分で自分を下として認識しているということに過ぎないということです。

というのも昔の自分は周りと比較してしまう傾向が強かったので自分はイケてないと思っていたのかもしれません。

さらに言うとしたら自分が下であるということを自分で選択していたということにも繋がってきます。

昔の自分にこのことを言うとおそらく納得しないと思いますが今はなんとなく受け入れられそうです。

そもそもスクールカーストは何も意味を持たない

以前、学校のクラスに在籍しているとそのクラスの考えていることが普通に見えてしまうという話をしました。

それに関連するとスクールカーストも必ず世間一般とは限らないということです。

言い換えるとあの人は上だから卒業しても人生充実している、あの人は下だから卒業してもイケてない人生を送ることになるとは限らないということですね。

人生どうなるかなんて誰もわからないものです。

人生の充実さをスクールカーストで判断するのはできないし判断できるものでもないと思っています。

その人が楽しいと思えればそれで良いんです。

仲良くしないといけないという価値観に苦労してませんか?

自分なりになぜカーストを意識しないといけないのかを考えてみたところ、小学生くらいの時に「みんなと仲良くしましょう」ということを強く言われていました。

その影響で中学、高校とかでもみんなと仲良くしないといけないと自分の中で感じてしまって仲良くできないとクラスから外れてしまったと感じてしまってしんどく感じていました。

さらにみんなは仲良くしているからひょっとすると仲良くできない自分は下の方だと感じていました。

確かにみんなと仲良くすることは決して悪いことではありませんし良い関係を築く力は身につくのかもしれません。

しかしそれが根強く感じていると仲良くない人と無理に仲良くしないといけないことにもなってしんどさに繋がってくると思います。

ここで言いたいのはみんなと仲良くすることは良いことではあるが全てというわけではなく自分にとって心地よい環境や関係を築くことができればそれで良いと思います。

みんなと仲良くしていおうが彼氏彼女作ろうが一人で趣味楽しんでいおうが周りからどうこう言われる権利なんてありませんしその人が充実していればそれで良いと私は思います。

いきなりそう言われても飲み込むのは難しいと思うので今自分にとって何が楽しいのか何が良いのかを一度考えてみるのも昔も今も必要なのかなと感じました。

今回は以上です、ここまで読んでくださりありがとうございました!また次回もお楽しみに!

前回の心理記事:【こうであらねばならないのか?】価値観が自分を苦しめているかもしれないという話

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