こんにちは、takamasaです。
多数決において、なぜか自分だけ他の人とは違う意見だった経験をしたことはありますか?
友人たち複数人でご飯に行く時にどこにするかを決めるためにみんなの意見を聞いたら、自分は牛丼が食べたいと思っていたけど、なぜか周りはラーメンでしかも自分以外全員同じだった時は気まずい他はありませんね。
ご飯を決めるくらいだったら可愛いものかもしれませんが、それ以外で同じ意見しかない状況に遭遇したとき違和感を感じたので、今回はそれについて書いていきたいと思います。
意見がポジティブしかない、もしくはネガティブしかないのはどうなの?
違和感を感じたきっかけはSNSでした。
SNSをよく利用している方ならご存知かもしれませんが、時々今の世の中について自分の意見を発信している投稿が自分のタイムラインに流れることがあります。
その投稿を見てる人は結構多くさらにいいねも多かったので、かなり影響力のある投稿だったんだなと思いました。
ここまでは特に気にならなかったのですが、その投稿に対する多くの返信を見たときに違和感を感じました。
それは、ほぼ全ての返信が賛同しかなかったことです。
なんだそれっていいことじゃん、と思うかもしれませんが私はそうはなりませんでした。
否定したいわけではありませんが、かといって賛同したいかと言われたらそうでもありません。
これだけ影響力があるのであれば、逆の意見もあって良いだろうと思っていましたがその考えが違和感の原因だったのかもしれません。
時々この時期に行われる選挙とかは特定の一人だけに票が入るケースはなく、ほとんどの場合はどこかに分散するはずです(そもそも母数が違うかもしれませんが、、、)。
意見が分散することに慣れていたことから、逆の意見もあって良いだろうと思っていたのかもしれません。
人類みんな同じ考えというのは錯覚かもしれない
逆に周りと同じ意見であることに慣れてしまったらどうなるだろうか?と考えた時に、この意見が絶対に正しいと思い込むようになり、初めて意見が対立した時に無意識のうちに対立した人を排除しようという心理が働くのではないか?と考えました。
あいつとは考えが合わないから除け者にしようぜ〜みたいなイメージ?
ただよくよく考えてみると、10人が同じ意見だったとしても20人だったら?30人100人1000人、、、人数が増えてくれば流石に違う意見が出てきてもおかしくないでしょう。
自分とは違う意見に出会うことって嫌なことに感じるかもしれませんが、実は自分の意見が正しいというのは錯覚であることに気づくきっかけにもなります。
もちろん錯覚に気づくことは意見を否定されていることとイコールにはならないと思っていて、シンプルに自分とは違う考えに出会えたということに過ぎません(違う意見に出会うことと受け入れることも同じではありません)。
いろんな思いを巡らせてなかなかまとまっていない回になってしまいましたが、自分も勉強になった出来事でした。
今回は以上です、ここまで読んでいただきありがとうございました!また次回もお楽しみに!
前回の心理記事:【激励】励ましが時にはイラつかせてしまうかもしれない話
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