こんにちは、takamasaです。
皆さんは、「指摘された」時ってどんな時を思い出しますか?
自分の勉強方法?仕事の姿勢?生活態度?あらゆる場面でリアルネットに限らず指摘されることがあると思います(別の言い方をすればいちゃもんをつけるといった感じでしょうか)。
素直に受け入れられれば大ごとにはならないもののなかなかそうもいかないのが現状です。
そこで今回は、指摘されたことに対して受け入れられる時とそうでない時の違いについて考えていきたいと思います。
「何を」言うかではなく「誰が」言うか、で考えてみる
突然見ず知らずの人に指摘されたらどう思いますか?
リアルのケースは少ないかもですが、ネットのケースはわかりやすいでしょう。
自分の制作物に対してここが汚いとか下手などコメントを見かけるとします。
作った本人からすると素人の何がわかるんだとイラッとしたり「やっぱり自分は向いていないのかな」と肯定感が下がったりとマイナスな感情にとらわれることがあると思います。
そのコメントの中に尊敬している有名な絵師さんがコメントがもし混ざっていたらどうでしょう?
これは人によるかもしれませんが、よりリアリティが増してショックがかなり大きくなることもあれば、この人が言うなら確かに自分は下手かもしれないと逆にすんなり受け入れることもあったりするかもしれません。
つまり見ず知らずの人から指摘をされるよりは有識者から指摘される方が比較的受け入れやすくなることが考えられます。
信頼があれば必ず受け入れてもらえる?
だとしたら指摘を受け入れてくれるようになるには信頼関係が重要?と私は思ったのですが、そう単純な話ではありません。
少なくとも関係性がない人から言われるよりは聞き入れてくれるとは思いますが、言い方やタイミング次第では受け入れてくれないどころか信頼まで失うこともあります。
普段優しい人が急に指摘をマシンガンのごとくしてきたら「関わらないでおこう」と心を閉ざしてしまうことが予想されるでしょう。
言い方やタイミングを見て指摘することに対する難しさは、誰にでもあるものです。
信頼、言い方、タイミングも全て揃えたのに、、、
信頼だけでなく言い方やタイミングを考慮すれば受け入れてくれる、、、
と思っていたのにそれでも受け入れてくれないのはもう諦めるしかないのでしょうか?
流石にここまで来ると第3者に意見を求めて相談したり、こういう人だと割り切って指摘するのを辞める判断をしたりするなど考えられる方針はいくつかあると思います。
ただ自分としては指摘を受け入れてくれないのは、自分の日頃の行いも影響してくると思いました。
かつて本当の自分(いわゆる素の状態)は一人になった時に現れるのを聞いたことがありました。
周りには良い顔しているのに一人の時はだらしないというような、誰かといる時と一人の時のギャップが大きければ大きいほど周りからの信用に大きく左右されやすくなるのではないかと考えました。
だからと言って張り詰めてまで常に周りを気にしろというわけではありませんが、少なくとも普段の自分の行いが周りにどう影響しているかくらいは考えるのもありかもしれませんね。
今回は指摘する人に対して書いていきましたが、誤解して欲しくないのが指摘する人もされる人も片方だけに問題があるとは限らないということです(捉え方や受け取り方もあると思いますし)。
信頼や関わり方を考えることも非常に重要ですが、日頃の行いが周りからどう見られていることも考慮するとなると、良好な関係を作ることはなかなか簡単なことではないですよね、、、
しかしだからこそ、人はこうして学んで成長していくものなんだなと思った自分に対しても思った今日この頃でした。
今回は以上です、ここまで読んでいただきありがとうございました1また次回もお楽しみに!
前回の心理記事:【客観視】自分の印象について、相手と自分とでは違うことがある話
コメント