こんにちは、takamasaです。
前回は、草に棘がある理由について草むしりを通じてお話ししましたが、今回も草むしりからのお話しです。
まさか違うテーマを思いつくなんて、と私自身も不思議に思っています。
今回は、草むしりを通じた価値観の書き換えという話について書いてみたいと思います。
簡単に取れる草もあれば、難しい草もある
何度か草むしりをしていくと、少ない力でかつ一握りで草が取れるものもあれば、大きな力でかつ両手を使わないと取れない草もあったりします。
途中まで楽々取れたのに、頑固なものがあると面倒だなあと思います汗。
そこで思いました。
なぜ同じ草なのに、こうも取りやすさも違うのだろうか?
単純に考えれば、根っこの大きさの違いが考えられそうですね。
取るのが難しい草は、人間の価値観の根強さを表している?
この根っこの長さや太さによって、取りにくさがあることが考えられたところで、根っこと人の価値観の根強さは何かしら繋がりがあるのではないか?と感じました。
これはあくまで例えですが、価値観がそこまで根強くない時は、根っこが小さくて草が取りやすいが、価値観がかなり根強い時は、根っこが大きくて草が取りにくいといったイメージです。
価値観が強ければ強いほど、変化という名の草むしりが難しくなるといったところでしょうか。
長い間「これはこうだ」という価値観をずっと持ち続けていた時に、いきなり変えろと言われても受け入れられないと思うのも自然なことだと思います。
例えば長い間、朝はご飯派だった人にいきなりパン派に変えろと言われたら、すぐに変えられるでしょうか?(もちろん、すぐに変えられる人もいるでしょう)。
この例でなくても当てはまるケースが、もしかするとあるかもしれません。
結局のところ価値観をどうするかは、その人の自由ですしね。
今回は、草むしりから価値観の根強さが繋がっているのではないかについて書いてみましたが、いかがでしたでしょうか?
特にオチがあるわけでもないので、もしまた何かネタがあれば、また書いてみようと思います。
今回は、以上です。ここまで読んでいただき、ありがとうございました!また次回もお楽しみに!
前回の心理記事:【ショートストーリー】草むしりから感じた、草に棘がある理由
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