【その発言、見られてるよ】発言する自由と周りからの視線

心理系

こんにちは、takamasaです。

対面で何気なく話していることやSNSでなんとなく発信していたことを、後日知り合いから言われたらドキッとしたという経験は皆さんはありますでしょうか?

その人に見せるために発信したわけではないのに知られているのって悪気はなかったとしても時々怖さを感じますよね。

今回は、自分が発信した言葉は周りに見られていることについてお話ししたいと思います。

発言、発信する自由

TwitterやFacebook、TikTokのようなSNSがかなり普及したことによって、対面ではなかなか言えないことを気軽に自由に言えるようになりました。

インスタ映えするような写真、今自分の身の周りで起きた面白い出来事、楽しい出来事、さらには嬉しいことまでさまざまな投稿ができるかと思います。

ただ、中にはストレス発散として嫌な出来事、さらには悪口のような誹謗中傷に近い発言をする方も少なからずいるかと思われます。

自分の思っていることを発言できるということは、ポジティブネガティブ関係なく発言できるということに繋がるでしょう。

その発言、発信は意外と見られている

自分の投稿をフォロワーや友達になっている人が見た時、いろんな感じ方があるかと思います。

この投稿に写っているお店興味が湧いてきた!、この人の考え素敵!、この人ってこんなこと考えるんだ。。などさまざまです。

しかし、自分が軽い気持ちで発言したことが、フォロワーが嫌な気持ちになったり怒りの気持ちになってしまうことも中にはあると思います。

自分の感じたことを自由に投稿できることに意識が向きすぎていたり自分が発言した意図とは違う捉え方をされてしまったりしてフォロワーの配慮に欠けてしまうなんてこともあったりすると思います(特に有名人だと炎上やニュースになってしまったりもしますよね)。

直接コメントをされたり会ったときに言われたりしたことで初めて事の重大さに気づくなんてこともあるでしょう。

発信することにおいて大事なことは?

この発言をしたら周りはどう思うのだろうか?この表現をされたらどんな気持ちになるだろうか?というような自分の発言を客観的に見れることが理想ですが、実践となるとなかなか難しいものだと思います。

特に感情的になってしまうと我を失って自分をコントロールができなくなってしまうかもしれません。

私がやっていたこととしては、一日の最後に気になる自分の発言に対して振り返る時間(5分でもOK)を設けるようにしていました。

悪かったところはもちろん、良かったところも振り返るようにしています。

さらに悪かったところについては、悪かったで終わらせるのではなく次同じようなことを起こさないために何が必要なのかを自分で考えたり周りに聞いてみたりすることで少しでも客観的に考えられるのではないかと思いました。

今の自分に何が必要なのか?次に繋げるためには何をすれば良いのか?

私も感じていることなので、もし参考になれれば嬉しいです。

今回は以上です、ここまで読んでくださりありがとうございました!また次回もお楽しみに!

前回の心理記事:【疑問を持つのは自然だが、、】質問攻めがきつい理由って何だろう?

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